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2012年04月13日

瞑眩反応、好転反応…


漢方用語というか

民間療法などでも使われる言葉ですが、

「病から立ち直るキッカケが起きる時の予期せぬ症状」のことで

「病」自体がカラダの様々な歪みから生じた結果だと思います。

歪みを正そうとしたときに、ある意味、長くそういった歪みに慣れてしまっていると考えられるカラダの組織が歪みを治ろうとするときに今までと違う状況に陥り、“戸惑っている状態”だと考えられます。

曲がった針金をのばそうとすると、曲がり癖が残ったりします。その癖がまた以前の曲がった状態(慣れた状態)に戻ろうとします。

そして治ろう、戻ろうの相対する反応がカラダの中で起きてきます。

すると

痛みを改善するためにのんだのに逆に痛みが強くなった。

かゆみを治そうとしたのに逆にかゆくなった。



のように

一見、“一時的に悪くみえる”状態になったりします。

反発する状況が少なからず起きるのです。


昔、漢方のようなお薬しかない時代には、元々カラダに対し、強制的に抑えるお薬などありませんでした。ですからカラダが本来持つ“自然治癒力”に頼るしかなかったのです。
そのため「まさに今病気と闘っている最中です!」みたいなシーンがよくありました。

毒素がカラダに入り込んだときには、ヒトの体からその毒素を出すために、吐かしたり下させたり、汗をかかせたり…など荒療治的な治療が一般的でした。

それをスムーズに効かすために漢方薬は、その体格や体力を考慮してその体から毒素を追い出すために必要な生薬の組み合わせを考えたのです。

逆に熱を出させて、菌という邪を制し…

たまった毒を出すために下痢を起こさせたり…

おできにたまった膿みをだすために噴き出させたり…

「瞑眩反応」や「好転反応」のようにまるで逆の「予期せぬ症状」が当たり前でした。


熱を下げる

腫れをひかす

下痢をとめる

吐き気を抑える

痛みを止める


など、「抑える」「止める」「鎮める」ができる西洋薬が普通に手に入るようになりました。

ですから、

漢方のように歪みを正すよりもより、「止める」「抑える」お薬(西洋薬)でその状況に慣れるようにする方が“楽”という道を選んだのです。


でも、その「止める」「抑える」お薬は、治すという観点でなく、元々持っている人の自然治癒力が発揮できるまでの時間稼ぎ的な意味あいがあります。

暴れる馬や牛を足を縛り付け、麻酔薬を注射してじっとするの待つ状況に似ています。

逆に熟練の調教師がその暴れる馬や牛をゆっくり焦らずに諭すようにあやすのが漢方薬じゃないかと考えます。

時間はかかり、時にまた暴れ出すかもしれないけれど徐々に調教師によって大人しくなるような漢方薬の方が長い目でみて“治す”に近いと思います。

正常状態から抜け出すためにカラダが自ら起こす反応…


それが
「瞑眩、好転」という反応なんじゃないかと考えています。


ただ、最近健康食品を販売する業者がやみくもにこの「瞑眩、好転反応」という言葉を使うことがありますが、何十年、いや何百、何千年も歴史があり永く愛用されてきた漢方薬の場合はきちんとしたデータがあります。
ブームだからと通販などで買われたり業者さんから買われた方々からの相談で「瞑眩、好転反応」だからこんなになったと言われたというのがよくあります。

ごまかしかそうじゃないかを判別するよりもきちんと薬剤師や専門の方に聞いてからお使いになられた方がよいでしょう。

お薬も健康食品もきちんとしたお薬屋さんで相談してみてくださいね。




(ひでぼ〜Z)


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