2012年02月23日
ふと思い出すこと…
ちょっといろいろ昔のことを思い出しちゃったので書いちゃいますね。
薬学部を卒業して、友人たちは病院とか調剤薬局とかに勤めが決まっていたころ。
実は自分は変わり者なのか普通の薬屋になりたかった。
そして漢方を教えてくださるところを探していた。
実は薬学部でたからと言ってすぐにお店に出られるわけではない。
まして、漢方など大学では成分的なものは学べても実際にその方にあった漢方処方を判定するには様々な手法、流派があり、問診などのやり方にしてもいろんなやり方があった。
普通なら薬剤師らしい調剤薬局などがいいと思うのだが…自分は少し変わり者だったかも。
今のところ、
病院やドラッグストアなどは一般薬的な“西洋医学”よりな位置づけになっている。
また針灸や○○治療院などは東洋医学的だが漢方などの知識が少なかった。
そしてその頃漢方というと煎じやら面倒やらで高価なイメージが…。
なんとなく中庸的な、日本の法律が中途半端というかあるところでは極端というか…。
ホントに悩まれている方々にその選択でいいのか?と思いがありました。
そんな時にある薬屋をたずねました。
それは、とても偶然というかついていたというか…。
実家の薬屋は、その頃は化粧品とか一般薬がほとんど。漢方はエキス剤が主流でそのなかで中医学的な八綱弁証という問診法により漢方処方を判断していた。もちろん今もその手法であるのだが、その飛び込んだ薬屋さんは変わっていた。
蒙色望診法と中医学を併せたもの。
そして整体カイロプラクティックを取り入れた総合療法をやっていた。
歪みあれば病生ずる。
歪み正せば病改善する。
と教えてくれた。
青、赤、黄、白、黒の東洋医学的な考えの五色を気の色と捉えて、
その人の全体的な色
顔や体に現れる部位的な直接的な色。
そして詳しい問診を経て、内蔵の負担部位を探す。
その望診法により体質を探し、問診法で判定する。
難しくすぐに会得するにできないことだった。
ただ、その薬屋の店主は面接の際、すぐに働くことを承諾してくれた。
最初車がなかったのでバスで一時間以上かかるその店に通勤が始まった。
右も左もわからない自分にいろいろ教えてくれた。
このかぶれの軟膏は、擦り込むのでなくやさしくかぶせるように塗るように指導しなさい
とか、
この咳止めとこの咳止めの違いは、夜寝付くころの咳にはこれ!昼夜かかわらずの咳にはこれ!
痰が出しにくい咳にはこれ!
などのように細かく教えてくれた。
質問というよりも聞くので一生懸命、精一杯だった。
小さな田舎町なんだけど遠くからお客様がいらした。
みんな笑顔だった。
強面の師匠はその時ばかりは笑顔満杯だった。
暇な時間は、食べ物の話や民間療法の話…そしてカイロプラクティックなど特殊な話など、ほんと飽きなかった。
いつも楽しかった。
ある日、お客様が見えた時に
「あい、息子さんね〜。ガッチリしてるね!似てるさぁ!」って言われたことがある。
それを聞いて二人で大笑いしたことも。
師匠には自分の歳と同じく息子を含めて4人子どもがいた。
そんな子どもたちに気兼ねして、詳しい勉強は暇な時にお店に二人だけの時だけにしてくれた。
顔相の見方。
顔の色と病気との関わり。
歩き方や立ち方座り方の姿勢と背骨と骨盤の歪みの見方。
ホントいろんなことを教えてくれた。
始めての師匠。
たぶん自分にとっての最初で最後の師匠。
しばらくして、
昭和天皇が亡くなり、平成になった頃…
師匠は突然逝ってしまった。
悲しいより悔しい涙がいっぱい流れた。
しばらく…なんだろう…
目の前の目標が消えた。
まだ二十代だったから…。
一時、飲めない酒にはしったこともあった。
落ち込みすぎて意味わからなくなった時
ふと我にかえった。
何かしらやることがあるはずと
中途半端だった整体カイロプラクティックを今一度自分のものにしようと東京のある学校に行った。
そして、次に師匠から教えてもらった方法を整理するために書き残したり…。
一度見失った目標をもう一度見つけて…
でもね。
師匠には到底届かないだろうね。
だって師匠は、
今もずっと師匠なんだからね。
もう少しで、あの頃の師匠の歳に並びます。
こんな未熟者の自分ですがよろしく見守ってください。
いつか
いつかまた会える日まで。
(ひでぼ〜Z)
Posted by ひでぼ〜Z at 16:58
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