2009年10月27日
言葉…体←→休
昨夜、“体”から“一”を抜くと“休”となる。
“一”は、いわゆる“刀”みたいなものではないだろうか…。
と書いた。
ある人が、こうも言った。
“体”の“一”は、帯みたいなものではないか?と…。
“体”から“一”という帯をほどくと、“休”となる…。
こう考えると、物事の見方は、人それぞれなんだよね。
自分は、刀に“意志”をこめて。
その人は、帯に気を引き締めることを思い。
ある意味、それぞれの“一”を抜いて、たまにはゆっくり“休”もう。
そう、力を抜くという共通点が“休”に癒やしを感じてきます。
自分が“一”を刀としたのは、例えば、武士のように刀に“志”を表しているように見え、それは、自分を強く見せる象徴に見えたものですから…。
そう、
“刀”は、その“力”の象徴となり、実質、人を傷つける“刃”へと変わります。
強くみせたいがために、「相手を傷つけること」につながるかもしれない。
だから、たまには、“一”の刀を抜いて、または、“一”という帯をほどいて…本来の自分に戻って休む。
そういうことじゃないかと思うのです。
ホント、“体”にある、“一”という文字は、いろんなことを教えてくれます。
(ひでぼ〜Z)
Posted by ひでぼ〜Z at 11:36
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